くじら物語
 

青峰会の歴史:目次
第一章 第二章 第三章 第四章
第五章 第六章 第七章 第八章
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弘光の学生時代のスクラップより
 平成10年2月26日には“学術研究発表会”が真網代くじら病院で開かれた。神一郎はこの研究発表会にあたって「くじら病院で働く人たちには、共通した思いがあるはずです。それは、肉体的、精神的に病んだ人々のために、何か役立ちたいという気持ちでしょう。その共通の目的を達成するためには、プロとしての専門知識、患者さまに対するサービスのノウハウ、そして何より意欲が必要です。そういうことを病院スタッフの皆さんが敏感に感じ、院内学会という学習の場を自主的に設けてくださったことは、本当に喜ばしいことだと思っています」と述べている。
 弘光は“研究”と言い、神一郎は“サービスのノウハウ”と言う。一見、まったく違ったことを要求しているように見えるものの、医療機関が“患者さまの幸せを求めるための研究”は学究的な側面だけでなく“サービスノウハウも含めたもの”であり基本的には同じことを要求していることになる。違うところがあるとすれば、神一郎は弘光に比べて個より全体のシステム的な展開を求める傾向にあることである。これも弘光の時代には病院が1つだったのに比べ、現在は2つの病院と訪問看護ステーション、クリニックなど事業規模が拡大していることを考えれば、当然の帰結であろう。


差別化は建物の構造にも表れている
 接客について弘光がおろそかにすることはなかった。職員には徹底して患者さまに対する言葉使いを厳しく指導してきた。精神科に限らず多くの医療機関で、患者さまを一段下に見ていた頃から、弘光は患者さまを尊重する姿勢を貫き通した。患者さまに対するサービスなどほとんど考えなかった時代、別な言い方をすれば考えても収入には関係なかった時代から患者さまに対するサービスを徹底していたのである。二宮安良は「理事長先生(弘光)は患者さまに対する言葉使いには特に厳しかった。20数年前は気の荒い患者さまも多く、職員側もつい言葉が荒くなったがそれをとがめられた」と語る。このような積み重ねが今になって大きく花開きだした。
 学術研究発表会のごあいさつの終わりに神一郎は「ここ数年、急に成長したのではなく、一貫した姿勢を保ってきたことで、社会的にも認められるようになったのでしょう。…現在さらに病院の医療の方向性を実現してくれる人々が着実に育ってきていることも、たいへん頼もしく感じています」と語っている。まさにその通りであろう。医療機関も競争の時代に入り、サービス内容の差別化が求められるている。弘光の時代から長年にわたって培われたノウハウ、それはすべての人を同じ人として尊重するという信念に基づくものであり、くじら病院の大きな財産である。


開設された頃の真網代くじら病院
 広々とした宇和海が広がり、緑のみかん山に囲まれたところに真網代くじら病院が開設されたのは平成6年6月9日。内科、心療内科、リハビリテーション科を持つ長期療養型の病院である。神一郎は「以前からお年寄りの医療が気になっていました。病院に入院させれば多額の付き添・br>  神一郎はここでお年寄りだけでなく、思春期ケアを行うつもりである。心を病んだ若い人達とお年寄りが療養生活をおくるには最適な環境ができ上がっている。


診察室での神一郎
 昭和34年の開設時に19床だった上村医院は八幡浜精神病院となり、平成3年にくじら病院と改称した時には279床の精神病院となっていた。それが平成7年4月に180床へと約100床も減床したのである。神一郎は「学会で『現在入院している患者さまの多くは、退院できる』という発表があったのです。退院したら患者さまも元気になると言う、常々私もそうではないかと考えていたので研究を始めました」と当時を振り返る。
 減床の直接的なきっかけは平成元年にベッドオーバーの状態だったのを訪問看護を強化することで退院できそうな患者さまに退院していただいたところ、180名くらいまで入院を減らせたことにある。もっともこの時は1年後には多くの患者さまが再入院している。そこで「デイケア、デイナイトケアを併せないと退院していただくのは無理だとわかった」のだという。
 ベッドを減らしデイケアや訪問看護で患者さまを支えて行くことは、病棟を開放化する以上の努力と意識改革が必要だった。意識改革が難しい高齢の職員には退職を促した。その結果、看護基準が2類から無類へと下がった。それでも「収入をあきらめてでも改革を押し進めようと頑張った」という。当時の状況を事務の山本鉄夫は「一時的に収入は減るが、いつまでも減るわけではないと院長(神一郎)先生は言っていました」と語る。神一郎や法人事務局長の佐々木にとっては相当なストレスだったに違いない。それでも改革を進めなければ理想に近づけないと考えたのだろう。


くじら病院のベッド数を減らし退院できない痴呆の患者さまは真網代くじら病院の痴呆病棟に移った。
 順次100名くらいが退院していった。なかには「退院するのが怖いという患者さまもいたし、家族の方々が家で大丈夫だろうかと不安がっていました」と当時の状況を徳田が語る。そのような方々に訪問看護やデイケアがあるからと説得し、退院をすすめていった。
 平成6年10月にはデイケア(大規模)を開始、同年12月には大洲市に農耕畜産用地を購入し作業療法、デイケアの充実をはかっている。もっとも退院した当初、患者さまはデイケアに来ても「ただごろごろしているだけの人が多かった」という。
 平成7年4月に精神療養病棟(A)120床と新看護病棟(4対1)60床の合計180床の病院に再度減床。平成8年9月には精神科デイナイトケアを開始、病棟の一部改築と併せ同年11月には精神療養病棟(A)109床、新看護病棟(4対1)46床の合計155床に減少させた。その後、平成9年3月には新看護病棟(46床)を精神科急性期病棟へと変更している。

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