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建築中のくじら病院本館内部 |
病棟の全面的増改築工事のプランニングが始まったのは昭和59年である。工事のプランニングから地鎮祭までは比較的順調に進んだ。ところが工事に取り掛かって重大な事実が判明した。「予定していた工法では充分なよう壁が築けない」というのである。建築会社の研究室から数名の研究者や技師が派遣され、周辺部を含め綿密な地質調査が行われた。そして出された結論が「理論的には杭の間隔を詰めれば可能だが、そうすると杭を打ち込んだ岩盤が割れるので実際問題としては工事不可能」というものだった。 工事を中止すると開放化が進まない。病棟の開放化を進める神一郎にとって「そうですか」で済ませられる問題ではない。ならば「移転すればいいじゃないか」と考えそうなものだが、それは移転先の反対運動が懸念された。実際に「現在でも五反田地区の現在地から外へ病院が移転するとなると反対運動がおこるだろう」と懸念する声もある。 そうなると何としてでも可能な工法を確立すること以外に問題を解決する方法がない。そこで当初、建物とよう壁を一体化する予定だったものを、半永久的なよう壁を建物とは別に築くなどの工夫をするとともに最新の技術を導入、昭和63年1月によう壁工事を含む第一期工事が完了した。その後は順調に工事が進み第二期工事は翌年完成した。 |
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新築当時のくじら病院本館 |
八幡浜精神病院は昭和38年に105床に増床、翌々年の昭和40年にはデイルームや食堂、診療サービス部門の改築と174床への増床を行っている。その後、昭和45年に開放病棟を設置し、156床へと減床したものの昭和50年には192床、昭和51年には196床と増床を続けてきた。
そして、この工事の完成により病床数は249床に増えたのである。また、目的の一つとしていた病棟の開放化はこの建物の完成により75%開放となった。 |
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運動会でおどけた姿を披露する弘光 |
病棟増改築というハード面でのアメニティ改善とともに、病棟生活の改善も精力的に行われた。平成2年には愛媛県内の精神病院でははじめての夕食時間6時をはじめとするソフトウエアの改善が行われた。この努力は継続して続けられており、平成8年には適時適温給食を開始し、・br>
このような改善は神一郎になってからだが、弘光が患者さまのアメニティに気を使わなかった訳では無い。むしろ患者さまが暮らしやすいようにとさまざまな行事や改善を行ってきた。どこの精神病院でもクリスマス会や運動会などの院内行事が行われているが、ひなまつりや端午の節句など機会をとらえては行事を催し、少しでも患者さまの楽しみを増やそうと努力してきた。今から見ればその程度のアメニティ改善かも知れないが弘光のように積極的に患者さまの楽しみを増やそうと努力し続けた精神病院長は全国的に見ても少ないのではないだろうか。 |
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シンボルマークは原田泰治画伯による |
“八幡浜精神病院”が“くじら病院”に名称を変更したのは平成3年11月のことである。名称変更の理由を神一郎は「以前から、八幡浜精神病院よりもっと親しみの持てる名前はないかと考えていました。この五反田地区は鯨地区とも呼ばれていたし、トマト銀行があるんだからくじら院があってもいいと思ったのでくじら病院としたのです」と語る。実際、病院近くの川にかかる橋は“鯨橋”であり、昔はここまで鯨があがってきたとの言い伝えもある。
“くじら病院”とは確かに親しみやすい名前であり、インパクトも強い。職員が外部研修に出かけ自己紹介する時などは、すぐに覚えてくれるという。ただ「動物病院ですか」とたまに聞かれることもあるらしい。川脇博文は「ありきたりな名前よりインパクトもあっていいと思います。ただ、研修に行って『くじら病院の川脇です』と自己紹介すると必ずクスクス笑う声が聞こえる。この時ばかりはあまりいい気分はしません。でも、インパクトもあって親しみやすく、しかも先進的な取り組みをしている病院なので“くじら病院”に誇りを持っています」と語る。このあたりが多くの職員の本音でもあるらしい。 |
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